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高松地方裁判所丸亀支部 昭和29年(ワ)24号 判決 1962年12月14日

原告 三島良失 外一名

被告 香川県

被告補助参加人 国

国代理人 大坪憲三 外一各

主文

被告は、原告に対し、金一四八万円を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告と被告との間に生じた部分は、これを二分し、その一を原告、その余を原告の各負担とし、原告と補助参加人との間に生じた部分は、これを二分し、その一を、原告、その余を補助参加人の各負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金三二四万四、五〇〇円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに保証を条件とする仮執行の宣言を求め、請求原因として、

一、原告は、先祖の代より数百年に亘り、香川県仲多度郡琴西村大字川東二七六番地土器川石岸において右土器川の流水を利用して水車営業を営んでいるものである。

ところで、右土器川流域はいわゆる河川法準用区域に指定されているので、その河川管理者は地方行政庁である被告県の知事(以下単に被告県知事と称する)であり、而して、被告県知事は、従来から同村造田に造田砂防事務所を設けて職員を配置し、右土器川上流より土砂の流失を防ぎ河川の維持管理、改良を掌らせていたものであるが、被告県知事は、右河川の維持管理のため昭和二一年度直砂面第八号工事として、同二一年中に原告水車所在地から約四〇〇米下流に高さ三米、長さ四〇米、巾一、七米のコンクリート砂防堰堤(以下A号堰堤と称す)を築造設置した。

二、ところで、右A号堰堤設置前は、原告水車附近の流水矢の如く流れていたが、右堰堤設置後は、その堰堤が貯砂機能を発揮するに及び漸次原告水車附近迄影響を及ぼし、河床に土砂が堆積するに至り河床が相当上昇し、ために河床勾配も緩くなり、流速も緩慢となつたため、その結果昭和二四年七月の大雨による土器川氾濫の際は、原告の住居及び水車等附属建物に浸水し、その深さは五尺以上に達し後記の如き多大の損害を蒙つたものであり、更にその後も土砂の堆積が止まらず昭和二七年九月頃には、右河床はA号堰堤設置前よりも五尺以上高くなつたため、原告水車排水口附近に迄土砂が堆積するに至り排水に支障を来たし、又多少右河川流水が増加する時は水車運転は不能となる有様であり、豪雨が襲来すれば常に原告居宅及び水車等に浸水し或いは流失するかもしれない不安と危険に晒されており、これにより現実にも後段記載の如き損失を蒙つているものである。

三、而して、原告が被告県知事のA号堰堤設置以来、前記水害等によつて蒙つた損害額(物的損害については、何れも各その当時の時価による評価額)は左のとおりである。

〔一〕  昭和二四年七月の洪水による損害

(一)  家屋流失による損害

(イ) 木造トタン葺平家建鶏舎一棟建坪七坪(豚舎として使用していたもの)

(ロ) 木造麦藁葺平家建木小舎一棟建坪五坪

右(イ)(ロ)の価額は一坪金五、〇〇〇円として全部で金六万円

(二)  母屋の畳流失による損害

一一枚分、金九、〇〇〇円

(三)  浸水のため搗精製粉工場破損による損害

部品取換及びその大工賃合計金九万円

(四)  鍋釜、客用膳その他諸道具類流失及び浸水のため使用不能による損害

(イ) 鍋釜併せて五個、計金四、〇〇〇円

(ロ) 客用膳腕及び膳附二〇人前、計六万円

(ハ) その他唐津、庖丁、炊事道具類、金一万六、〇〇〇円

(五)  夜具、衣料品類の流失又は浸水のため使用不能による損害

(イ) 木綿布団、敷一枚、掛一枚を一組として四組使用不能

計 金一万六、〇〇〇円

(ロ) 男作業衣五組流失、計金五、〇〇〇円

(ハ) 女作業衣普段着類一五枚流失、計金一万五、〇〇〇円

(ニ) 子供普段着一〇枚流失、計金四、〇〇〇円

(六)  家畜額の死亡又は流失による損害

(イ) 鶏六〇羽流失又は死亡、一羽金六〇〇円として計三万六、〇〇〇円

(ロ) 豚一二頭(内訳親豚八頭、中親豚四頭)流失又は死亡計金二三万円

(七)  材木類の流失による損害

(イ) 製材(主として松及び檜板)約三〇石流失

一石当り金三、〇〇〇円として計約金一〇万円

(ロ) 薪(松割木)約二〇、〇〇〇貫流失、一〇〇貫当り金一、〇〇〇円として計金二万円

(ハ) 束木(雑木)約二〇〇束流失、一束当り四〇円で計約金八、〇〇〇円

(八)  米藁約四〇〇貫、麦藁約三〇〇貫流失による損害一貫当り二〇円として計一万四、〇〇〇円

(九)  穀粉、麺類その他それに附属する物の浸水或いは流失による損害

(イ) 乾麺空箱約八〇〇個流失、一箱当り金三〇円で計二万四、〇〇〇円

(ロ) 小麦四五〇俵浸水

(内訳)使用不能一五〇俵、金三〇万円

減耗損一俵当り平均二割のもの三〇〇俵、金一二万円

右合計四二万円

(ハ) 裸麦八〇俵浸水

(内訳)使用不能二〇俵、金四万円

減耗損一俵当り二割のもの六〇俵、金二万四、〇〇〇円

右合計六万四、〇〇〇円

(ニ) 米(玄、白を含む)五〇俵浸水により用途限定(水害復旧のための勤労奉仕者に対する炊き出し又は自家用に供する外なかつたこと)の結果蒙つた損害、金一〇万円

(ホ) 乾麺四〇〇貫浸水又は流失、金八万円

(ヘ) 小麦粉七〇〇貫浸水又は流失、金一二万六、〇〇〇円

(ト) 粉一二〇俵浸水又は流失、一俵八〇円で計金九万六、〇〇〇円

(チ) 米糖二〇〇貫浸水又は流失、一貫当り六五円で計一万三、〇〇〇円

(一〇)  水害復旧工事のため昭和二四年八月及び九月の二ケ月間水車運転が不能となり営業を休止するの巳むなき状態にあつたことにより営業上得べかりし利益の喪失により蒙つた損失額一ケ月金五万円として金一〇万円

〔二〕  右水害後即ち昭和二六年八月末頃より同二八年八月末頃迄約二ケ年間A号堰堤設置のため河床に土砂堆積しその結果水位上昇しそのため水車の稼動率低下に因り営業上得べかりし利益の喪失により蒙つた損害

稼動低下率年間四割として二四万円、二年間で金二八万円

〔三〕  昭和二六年八月末頃原告が被告に本件損害賠償請求をなして以来得意先が激減するに至つたことに因り営業上得べかりし利益の喪失により蒙つた損害昭和二六年七月より同三五年末までの間年間約六万円の収入減(年間総収入の二割に当る)として計一〇五万五、五〇〇円

以上合計三二四万五、五〇〇円

四、ところで、右の如き原告が損害を蒙つた原因は一に被告県知事の設置した公の営造物たる前記A号堰堤の設置並びに管理乃至保存に瑕疵があつたことによるものである。

即ち、その堰堤の高さを現在より一米低く、又設置場所も現在の位置より約五〇〇米位下流に選定すべきであつたから、左様にしなかつたことが右設計に関する誤りであり、仮に然らずとするも、かかる公の営造物たる堰堤のようなものを設置するに際しては、河川の勾配、川巾、水量等を綜合して、堰堤設置によつて通常その附近両岸の畑、人家、工場等に如何なる影響を与えるか又洪水等異常な場合の危険度等を充分調査しなければならないことは言うに及ばず、更に附近住民の了解を得るとか或いは損害を補償する等充分な配慮をもつて行なわなければならないことは当然である。ところが、被告県知事は本件A号堰堤設置に際しては右の如き種々の調査も充分しないばかりか、その設置場所よりわずか四〇〇米上流の水利権者であり、且相当大きな規模の水車を設置使用して水車営業を営んでいる原告の右堰堤設置についての同意を得ることもなく、仮に原告が形式的に同意したとしても、これによつて原告が損害を蒙ること迄甘受したものではないし 又右堰堤設置により原告が蒙ることの当然予想される損害についても、予め買収、或いは損害補償をする等万全の策を構ずることもなく、更に右工事着手後も原告の水車営業に支障を及ぼさないよう充分注意して工事を施工したものとも認められない。加うるにその完成後A号堰堤の貯砂機能が必ずしも正常でなかつたため、言い換えればその性能に欠けるところがあつたことにより、昭和二四年夏の大洪水の際前記の如く原告に多額の損害を蒙らしめたにもかかわらず、被告県知事はこれを不注意に放置したため前記のように原告の損害は増大するに至つた。

以上のことは、被告県知事の設置した公の営造物であり又いわゆる工作物たるA号堰堤の設置又は管理乃至保存に瑕疵があつたてとにより原告が損害を蒙るに至つたものということが出来る。

なお、被告県知事は被告県議員であり元造田砂防事務所長中村伝一をして右A号堰堤築造全般についての企画設計工事施行の責任者として右工事の実際の掌に当らしめていたものである。

五、よつて、原告は、第一次的には、国家賠償法第二条第一項に基き、右堰堤設置及び管理に当る者であり且右堰堤設置費用の一部(三分の一)負担者である被告に対し、原告の蒙つた右損害金の支払を求め、予備的に、民法第七一七条第一項本文に基き、右堰堤の占有者としての被告に対し、右損害金の支払を求め、仮に、右理由がないとするも、国家賠償法第一条第一項に基き、即ち被告県議員(地方公務員)である前記中村伝一の職務行為たるA号堰堤設置上の過失(具体的には、右堰堤設置するに当つてはその流域の住民に危険、損害を発生させないように配慮すべきであるのにこれを怠り、特に原告家庭並びにその事業に及ぼす影響について当然の配慮を欠いたままA号堰堤を設計し設置するに至つた不注意)により原告に前記A号堰堤の設置に起因する損害を与えたものであるから、被告に対し、右損害金の支払を求める。仮に、似上の何れの理由もないとすれば、民法第七一五条第一項に基き、即ち被告の使用人たる前記中村伝一が、A号堰堤工事施工につき、同人の右に掲げたような適失により、原告に対し前記損害を与えたものであるからその使用者としての被告に対し、右損害金の支払を求める次第である。

と述べ、更に、被告並びに被告補助参加人の主張に対し、

その主張第一点の本件損害賠償請求の第一次的義務者は国であつて被告ではないとの点については、原告は本訴においては前述の如く国家賠償法第二条・第一条・民法第七一七条・第七一五条の各規定に基いて夫々損害賠償の請求をなすものであるが、元来いわゆる準用河川の維持管理は、国の機関としての地方公共団休の負担とせられている。そこで、かかる河川維持管理のため堰堤等公の営造物を設置した場合にその設置若くは管理に瑕疵があつたため、又は国若くは公共団体の事業の遂行に当る公務員がその職務を行うについて他人に損害を蒙らせた場合、被害者はその損害賠償を請求するにつき、国家賠償法においては、国に対しても将又費用負担者たる地方公共団体に対しても自由にその相手方を選択してこれをなしうることは明白である又、本件A号堰堤が砂防法により、設置されたものとするも被害者たる原告の損害は、河川の流水によるものであるから、民法の一般不法行為の原則からいつて河川の維持管理並びにこれがための堰堤の設置等の費用負担者たる地方公共団体、即ち本件においては香川県を被告として損害賠償を求め得ることは明確である。

なお、被告県知事は砂防法に基き、国の認可を得て本件A号堰堤築造工事を施工したものであつてもその認可そのものは直ちに被告の私法上の損害賠償責任を阻却せしめるものでないことは当然である。

次に、同上第二点の(一)乃至(四)に対して、被告がその主張の如きA、B、Cの三つの堰堤を築造し各貯砂機能を有すること、及びその主張のような防水壁をその頃作つたこと、(但し、A号堰堤の附帯工事であるとの点を除く)更に昭和二五年頃従来あつた護岸コンクリート根継ぎ工事が自然磨滅したので被告において同様の根継ぎ工事を施工したこと、又原告が水車動力設備を階上へ移動させたこと、昭和一三年と同二四年に洪水があつて原告宅に浸水したこと及び原告の水車引水路は被告等主張のとおりであつたが、現在はB号堰堤を利用していること並びに平常時は原告水車は普通に水車運転していることはいずれもこれを認めるが、A、B、Cの各堰堤の現実の機能乃至効果が原告に対し何等危険又は被害を及ぼさずむしろB、C号堰堤によつて利益を受けているとの主張及びA号堰堤設置と本件損害との因果関係は存在しないとの主張、更には損害ありとするもこれを水車営業者は甘受しなければならぬとの主張、又、原告は正当な水利権者でないとの主張等原告主張事実と抵触する原告等主張事実はこれを争う。

と述べ、更に詳論するに、

(一)  被告等は、昭和二五年三月、被告県知事において原告宅地川添の護岸工事をしたと主張するけれども、正確には同三四年ないし三五年前に根継ぎ工事は施されていたところ、それが自然磨滅したため、原告の申出により、被告がその主張の日時頃更に右根継ぎ工事をしたわけで、その点から推察しても従来は河床が倒れて低くなつていたことは充分量り知ることが出来る。

(二)  被告等は、原告水車の排水状況は現在はA号B号堰堤設置前に比して良くなつているかの様に主張するけれども、これは全く事実に反する。即ち、A号堰堤設置前にも、現在のA号堰堤の設置箇所附近に灌漑用引水のせき堤があつたが、これは粗雑をきわめ、例年の如く大水のある度毎に決壊状態になつたので、それがため砂礫を自然流失し現在よりも河床が低くなつていたのが事実である。昭和一三年の洪水は、昭和二四年の洪水の時よりも雨量が大であつたが原告宅地先土器川の水位は現実には昭和二四年の洪水の方が高くなり、従つて、原告に多大の損害を与えたもので右の事実に照しても現在は従前に比し河床は相当上昇しているものである。

(三)  被告等主張のようにC号堰堤の貯砂機能により原告水車が一時的に運転可能となつたとしても、これは期間の問題であり、やがてC号堰堤に砂礫が堆積し、これを越えて砂礫が流れるようになつた時は、原告宅地先の河床は上昇することは明らかであり、このことは原告主張の危険を終局的に除去したものとは言えない。

(四)  被告等は、万一の洪水の時の危険に備えて護岸上部に防水壁の工事を施工したと主張しそれは事実であるが、しかしこの壁に三、四ケ所穴を開けているので大水の時には反対に原告宅地に水が逆流することになり、それが為防水壁の役目は何等果されていない。

(五)  原告の有する水利権の性質、原告は河川法施行以前から多年に亘り本件土器川河川の水を利用して水車業を営んでいるもので長期に亘り継続且反覆してその流水を支配して来たのみならず何人からも異議を申し立てられたこともないのであるから、この流水の支配は永年に亘り社会的承認を獲得したものであつて慣行水利権が成立していることは論を俟つまでもない。即ち、この流水使用権は行政庁の許可行為によらずして多年の慣習として使用権が成立し、この性質は許可に基く公物使用権と異るものではない。かかる河川法が適用される際に既に存在する慣行水利権は、右河川法施行の日から三ケ月以内に都道府県知事において更に許可を受くべきことを特に命じない限り河川法による許可を受けたものとみなされ、河川法上の特別使用権たる地位を獲得するものであることは河川法施行規程第一一条からも明白である。してみると、原告は水車営業に使用している慣行水利権について河川法施行の日から三ケ月以内に被告県知事から許可を受くべきことを命じられたことがないのであるから別段水利使用に関する県知事の許可を必要とすることなくして当然に河川法上の水利権を有しているものである。

(六)  なお、昭和二六年八月頃原告宅地先河床に砂礫が堆積したので一寸の増水にも水車の運転に支障を来たし、且又豪雨の際の家屋浸水流失等の危険も感じたので被告にこの旨申出でたところ、同年八月下旬被告側係員が来村し、再調査したところ、水車排水口上部位迄砂礫が堆積する恐れがあるから何とか対策を講じようと言つたまま、数度に亘り交渉したところ、被告は善処しようとのことであつたので原告は被告の右言を信じて不自由を忍んで善処を期待していたが、被告側は遂に何等誠意を示さなかつたような事情がある。

最後に被告及び被告補助参加人主張第二点(五)の消滅時効の抗弁に対しては、これを否認する。右時効の起算点に関し、原告は、当初原告主張の損害につき、これが被告県知事の設置した公の営造物たるA号堰堤の瑕疵の結果生じたものであることを原告が知つたのは本訴提起当時の昭和二九年で月四日頃である。従つて、消滅時効は完成していない、と述べたが、この主張を撤回し、前記損害が被告県知事の設置した右A号堰堤の瑕疵により生じたものであり、その被害者が被告県知事であることを原告が知つたのは高松地方裁判所丸亀支部の証拠保全の当時、即ち昭和二七年九月一二日頃である。従つて、被告等は時効の起算点を誤つているものであり、消滅時効は完成していないから、被告等の消滅時効の抗弁は失当である。と述べ、

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め、答弁として、

第一点、本件損害賠償請求の第一次的義務者は被告補助参加人国(以下単に国と称す)であつて被告ではない。その理由は砂防設備である本件A号堰堤が公共の営造物であり、国有物件であるからこの営造物の設置並びに管理に付いて瑕疵があつたことを原因として損害賠償の請求を為す場合、その第一次的義務者は国であつて被告ではない。何となれば本件A号堰堤の設置された河川区域は昭和一七年一二月二日内務省告示第七一五号をもつて砂防指定地に繰入されたものであり、その後被告県知事が砂防法第五条の規定に基ずき昭和二一年度通常砂防事業(直砂補第八号工事)として被告においてその費用の三分の一を負担し、その余は国が支出して国のいわゆる委任事務の執行として本件A号堰堤を築造設置したものであつて、右は被告の固有事務の執行ではないからである。

第二点、原告主張の請求原因事実中、原告がその主張の場所でその主張の如く水車経営をしている者であること(但し水利権ありとの点を除く)原告宅地附近土器川流域はいわゆる河川法準用区域であるから、その河川管理者は被告県知事であり、而して被告県知事は原告主張の如く砂防事務所を設け右土器川流域の維持管理、改良を掌つていたものであること及び昭和二一年度通常砂防事業として、被告においてその費用の一部を負担して被告県知事において原告主張の場所にその主張の如き規模のA号砂防堰堤を設置したものであること並びに昭和二四年夏豪雨があり原告居宅その他建物が浸水したこと(但しその程度は除く)はいずれもこれを認めるがその余の事実は全て否認する。

と述べ、一右に関連する主張並びに抗弁として、

(一) 昭和二一年度において被告県知事が土器川治水砂防計画の一環として原告の水車所在地の地点より約四〇〇米下流に原告の了解を得た上原告主張の如き規模を有するコンクリート堰堤(A号堰堤)と原告方より上流約一五〇米附近に右A号堰堤と幅同規模のコンクリート堰堤(以下B号堰堤という)を築造した。そして被告県知事は将来天災又は異常の場合における洪水等の危険に備えるために原告の要望により本件A号堰堤の附帯工事として、原告の宅地水車施設先川岸石垣の上部に護岸工事としての延長九〇米、天幅七〇糎、高さ上流部一米八五糎、中流部一米七〇糎、下流部一米六〇糎の防水壁(パラペツト)の築造工事を同時施工した。(この防水壁には設計上の原則に従い水圧防止のため穴をあけてある)

而して、原告水車施設は右A号及びB号各堰堤の中間に位し、水車施設附近の河床は、局部的には同地域により接近しているB号堰堤の影響を受けることが大きく、そのため堰堤設置当初においてはB号堰堤の貯砂機能並びに水流の影響により原告水車附近の河床は漸次低下し、昭和二四年末頃においては原告の宅地、水車施設部地先の護岸の根掘れを生じたため、原告の申出により、昭和二五年三月頃被告県知事において高さ約一米、延長約六八、七米にわたり護岸のためのコンクリート根継ぎ工事を施工した。この期間においては原告水車の排水状況はは堰堤設置以前より良好であつたので排水の点について何等不服はなかつた。

ところで、その後A号堰堤に砂礫が推積したのでその影響によりB号堰堤に至る迄の河床は漸次計画勾配線通りの安定性を示すようになり、一時的に低下していた原告の宅地水車施設部地先の河床も漸次上昇したが、その上昇もA号堰堤設置前の河床に比してより上昇したとは認められず、むしろA号堰堤の上流約一八〇米附近に古くから高さ約一米の灌漑用引水せきがあつたのでその影響により水車施設附近の河床は相当高くなつていたのがA号堰堤設置により安定勾配線迄低下したものである。なお、更に昭和二六年にはB号堰堤の上流約五〇〇米の地点に高さ八米(河床より五米)長さ四二米、幅、上一、六米、下六、四米の堰堤(以下C号堰堤という)が設置せられているが、この堰堤の貯砂機能により現在水車施設附近の河床は漸次再び低下しており、原告水車の運転には何等支障を生じていない。

ところで、凡そ、河床は流水の自然的作用により絶えず変化するものであり人工的工作によりその流水を調整し得るとしてもそれには一定の限度があり人工的諸施策が必ずしも予想の如き実効を挙げ得るとは限られてないけれども、本件土器川は漸次計画通りの様想を呈しつつあり治水砂防計画は所期の目的を達しつつある。

(二) 原告は土器川の増水時水車は運転不能となり豪雨があれば原告の居宅並に水車は浸水流失の危険があると主張するけれども第一に、土器川増水時水車の運転が不能となるとしても、それは原告水車の引水排水の設備が増水時においても運転出来る設計になつていないのであるから、運転不能は当然でありA号堰堤の設置により右増水時に水車運転が不能となつたわけではない。

また豪雨洪水の場合原告の居宅水車等が浸水流失の危険ありという点については、抑々、原告の屋敷内に浸水した過去の歴史は去る昭和一三年と昭和二四年の台風時の二回丈であつて家屋が流失した事実は未だ曽てない。約二〇年の長い間に一、二回の台風に襲われ異常な豪雨にて洪水が出て屋敷内に浸水したとしても、それは自然現象による水量の増加が通常予想される最大の高水量を超えたがためであつて、本件堰堤の設置並びにその瑕疵の存否には何等関係なく、その間に因果関係は存在しない。しかれども、天災を不可抗力として放置することは国又は地方公共団体の政策上許容せらるべくもないので土器川に対する治水砂防計画が積極的に実施せられA、B、Cの各堰堤が築造せられたものであり、また被告県知事は万一の洪水時の危険に備えるためA号堰堤の附帯工事として同時に原告水車施設地先の護岸上部に前述の如きコンクリート防水壁を附加したのである。

しかして、右の如く約二〇年間に一、二度ある洪水による浸水及びこれに伴う被害は一般に河辺において水力を利用して水車営業を営まんとする限り(殊に原告のように原始的な水車設備構造の下に水車業を経営する限り)その危険を当然予期し、これを甘受しなければならない。

更に、仮に原告主張の期間中従前に比し水車の運転能率が低下している事実ありとしても、それは昭和二五年に原告は水車設備を改造し、従来水車に直結していた原動力設備を階上迄延長しているのでその間動力の損失があるのが最大の原因と思われる。

なお、原告は水車営業をするに当つて士器川の流水を利用しているが、これは正式に県の認可を受けたものではないから単に事実上のものであつていわゆる法的に水利権者として承認されるものではない。

(三) 本件A号堰堤の工事並びに管理について瑕疵はなく、また被告の責に帰すべき何等の理由もない。

本件A号堰堤は、砂防のため且は当該河川の維持、管理、改良を目的とする公共の福祉増進のためのものであり、又下流村民の灌漑のために貢献すること極めて甚大なる営造物であるが、かかる公共の施設築造等に当つて当該担当の被告職員がその職責上万全の措置を講ずることは当然である。そうして本件A号堰堤築造に当つても万全を期したのであつて専門的、技術的に検討して何等設計上の誤算乃至瑕疵のあることを発見することは出来ずまた管理維持についても被告に何等落度なく瑕疵ありとはいえない。

原告は、A号堰堤築造により若干の不利益を受けることあるも、前述の如きB、C号各堰堤築造以来日々多大の利益を受けているものであり、現に平常時の水車運転に何等支障を来していない。即ち、砂防堰堤は貯砂機能の外に土砂の選別作用と調節作用をもつている。従つてB号C号堰堤によつて貯砂機能が発揮される期間は原告水車排水口附近の河床は相当低下し非常に良好な排水状況となつている。又その期間が過ぎて満砂しても洪水時多量に流下して来る土砂のうち大さなものは止まり、小さなものは出ていくという選別作用が行なわれ、災害を起す破壊力の減少となり原告宅地先護岸の災害を保護している。又原告水車を運転するための水はB号堰堤が出来るまではその上流約一六〇米附近にあつた原告の私設堰堤より水路で引水していたと思われるが、現在はB号堰堤を利用している。これにより従前の堰堤からB号堰堤までの間にあつた水路に要する維持費は不要となつている筈である。又B、C号堰堤に限らず土器川全体の砂防計画に基いて築造された堰堤によつて流出土砂を防止し、河床の安定を計つている効果は原告自身も受けつつある訳であつて、単に河床を低下さす作業がよいのではなく河床の終局の安定を計ることが必要である。

戦時中山林を乱伐したり、急斜面まで開拓したため、急激に土砂礫の流出が増大している現象は独り土器川のみではないが、このような同川の荒廃はひどく、仮に山腹砂防、渓流砂防等の砂防工事が全然施工されなかつたとしたならば原告宅地先の河床の状態も今と比較にならない程悪くなり、恐らく水車の運転は不可能になつたと思われる。

以上要するに、原告はA、B、Cの各砂防堰堤築造に因つて受くる利益の部分は故意にこれを黙殺して語らず反対に約二〇年間に一、二回発生した災害時の被害を針小棒大に主張するものであつて正義公平の観念に反する不当な主張というべきである。

なお、被告は本件土器川河川の本支流域に亘つて本件堰堤と同様な砂防堰堤を四〇ケ所余設置しており、その目的は公共の福祉増進と土器川全体の砂防計画に基ずくものである。然るに原告主張のような理由によつて損害賠償の請求が出来るとすれば、河川の維持管理改良と公共の福祉増進とは完全に阻害され活いては国政県政の進展発達は望むべくもない。してみれば、かかる原告の主張は公共の福祉に反する主張として許容せらるべきものでないことは自明の理である。

(五) 仮に原告がその主張の如き損害を蒙つたとしても、原告はその当時そのことを知つたものであるから、その損害の発生した昭和二四年七月三一日より三ケ年を経過した昭和二七年七月三一日をもつて右損害に対する賠償請求債権の消滅時効は完成しているのでこれを援用する。

と述べ、この点の被告等の抗弁に対する原告の時効の起算点に関する主張の変更は、いわゆる自白の撤回に該当するから異議がある。と述べ、

被告補助参加人の指定代理人は、原、被告間の本件損害賠償請求事件について被告を補助するため該訴訟に参加する旨の申出をなし、その理由として、

本件訴訟において、原告は、香川県綾歌郡美合村大字川東の土器川(準用河川区域)において、被告県知事が砂防法第五条の規定により昭和二一年度通常砂防事業として補助参加人国の認可を得て築造したコンクリート堰堤(国有の砂防設備たる公の営造物)の設置等に瑕疵があつたと称し、原告に損害を生じたものとして、国家賠償法の規定により砂防工事の費用負担者たる香川県を被告として、損害の賠償を請求するもののようであるが、同法による損害賠償の第一次的義務者は国であるので、補助参加人たる国は、本件訴訟の遂行並に判決の結果について法律上重大な利害関係を有するので、民事訴訟法第六十四条により被告を補助するため本申出に及ぶ。と述べ、原告の主張に対する補助参加人の主張として被告代理人主張の答弁事実と同一事項を陳述したのでこれを引用する。

証拠<省略>

理由

原告の被告に対する本訴請求に対する被告及び被告補助参加人主張の第一点、即ちかかる原告請求の第一次的義務者は国であつて被告ではないから原告の本訴請求はその点において失当であるとの主張について案ずるに、

原告は、第一次的に国家賠償法第二条第一項により本訴請求をなすものであるところ、本件土器川河川は、いわゆる準用河川であり、従つて河川法第五条、第六系によつてその河川管理者は被告県知事であるところ、本件A号砂防堰堤の築造設置は右河川の管理維持の必要から砂防法第五条第一二条の規定により被告においてその費用の一部(三分の一)を負担して被告県知事がこれを施工し、その砂防設備を管理維持しているものであることは当事者間に争ない。かかる場合において右堰堤設置並びに管理の瑕疵により損害を蒙つたことを理由とし、前述の如き国家賠償法の規定に基いてなす被害者たる原告の請求は、右規定の趣旨に照らし、本件土器川河川の管理並びに本件A号堰堤の設置管理者たる国(被告県知事は国の委任事務として右事務を担当しているもの)又はその設置費用の一部負担者たる被告の何れを相手方としても自由にこれをなしうることは明らかである。(後記参照)それ故このような場合国が第一次的義務者であるから被告に対する請求は失当なりとする被告及び被告補助参加人の主張は理由がないから採用しない。

次に、原告の本訴第一次的請求即ち国家賠償法第二条第一項に基く請求について、以下判断する。

原告が肩書住所地で、その主張の如く水車の経営をしていること(但し原告に水利権ありとの部を除く)原告右宅地附近土器川流域はいわゆる河川法準用区域に指定されていること、而してその河川管理者は被告県知事であり、同知事は原告主張のように造田砂防事務所を設け吏員を配置し右土器川の維持改良を計つていたものであること及び昭和二一年度直砂補第八号通常砂防事業として、被告においてその費用の一部(三分の一)を負担して同年度内に、原告主張の如く原告水車所在地点から約四〇〇米下流に高さ三米(河床よりの高さ二米)、長さ四米、巾一、七米のA号堰堤を設置したものであること、更に右A号堰堤完成後引き続いて原岩方より約一五〇米上流に右4号堰堤と略同規模のB号堰堤を設置し、更に、昭和二六年頃右B号堰堤の約五〇〇米上流に高さ八米、(河床よりの高さ五米)、長さ四二米、巾上一、六米、下六、四米のC号堰堤を設置したこと、及び昭和二四年七月豪雨があり、その際原告居宅その他建物に浸水したこと(但し、その程度を除く)については、いずれも当事者間に争ない。

ところで、国家賠償法第二条第一項によれば「道路、河川、その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは国又は地方公共団体はこれを賠償する責に任ずる」と規定されており、本条はその立法趣旨並びに右法条の一般法たる民法第七一七条の解釈等に照らし、公の営造物につき客観的に瑕疵が存在するならば、設置者又は管理者の主観的な故意、過失は問うことなく、右瑕疵に基因する損害の賠償責任が発生することになりその限りにおいては、いわゆる危険主義に基く無過失責任を建前とするものと解する。

而して、本件土器川に被告県知事が設置したA号堰堤が「公の営造物」に該当すること、又本訴請求が地方公共団体たる被告に対してなしうることはいずれも前述のとおりであるから右規定の要件上問題とすべき第一点は、公の営造物たるA号堰堤の設置又は管理に瑕疵が存するか否かでかり、詳しくは公の営造物の設計、設置およびその後の維持管理等に不完全な点があり、その営造物が通常備うべき安全性に欠けているかどうかであり、しかも、また営造物の設置又は管理に瑕疵があるかどうかは、必ずしもその物体自体に限定して判断されるだけではなく、その物の置かれている四囲の状況との綜合的な見地からも判断されるべきであると解する。そこで、その点の原告主張は、具体的にはA号堰堤の築造位置、規模等の点につき設計上並にその竣工上に瑕疵があつたこと、設計に当つての事前調査が不充分であり、且設置について原告等附近住民の利害が無視され、特に損害を蒙ることが当然予想される原告に対し、事前にその賠償等万全の策が講じられなかつたこと、及びA号堰堤自体の性能(貯砂機能)に欠けるところがあつたため同堰堤上流の原告住居附近迄土砂が堆積し、河床が相当上昇したこと等を指摘しているので、これらの点を中心にして以下検討を加えてみよう。

いずれも成立に争ない甲第三号証、乙第一号証及び証人佐野久光、同西村芳太郎、同中村伝市、同山地真一、同片野英二の各証言並に検証の結果によれば、本件土器川は、従来から急流で河床の変動が激しく、その上終戦前後の山林の濫伐によりその傾向が益々助長されるに至つたので、右河川の勾配を調整し、流速を緩め、河川の氾濫とこれに伴う砂礫の流れを調節し、それによつて河川の両岸の人家、田畑その他を保護し、水害を防止することを目的として、土器川全体に約七〇個所位の砂防堰堤を設置する計画が被告県知事においてなされ、その一環として本件A号堰堤及びB号、C号の各堰堤が設置されたものであるが、A号堰堤は右本来の作用である貯砂機能による河床の安定という本来の効果の外に農地灌漑用水取入口として利するところが多いため地元一般民の間からの要望もあつて設置せられたもので、現在二〇ないし三〇軒位の農家がこの恩恵に浴していることが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、以上の如き効用を有するA号堰堤設置について、先ず原告主張の如くその場所を現在の位置より五〇〇米下流にしなかつたこと、或いは堰堤の高さを現在より一米低くしなかつたことが、だだそのこと自体として全般的な設計上の誤りであることを認めるに足る証拠はない。

次に、A号堰堤設計に当つての事前の調査が不充分であり、且、原告の蒙ることが当然予想される損害について配慮がなされなかつたとの原告主張については、前記証人中村伝市の証言によると、訴外中村伝市が造田砂防事務所長として本件A号堰堤工事全般の責任者であつたが、同人は、昭和七年頃から昭和二三年頃迄、被告職員として造田砂防事務所に勤務していたものであり、その間土器川が洪水で氾濫したことが二、三回あり、それも大小併せると三、四年に一回か、五年に一回周期的にやつてくることを経験したこと、しかし本件A号堰堤設計に当つては、当初は洪水の場合のA号堰堤附近の畑とか宅地に水が出てどのような影響を与えるかを研究することなく、堰堤工事を施工したこと、しかし、原告本人の強い要望により右工事の附帯工事として原告宅地の土器川川岸に築造されていた護岸の上部にパラペツト(防水位壁)工事を施工したのであつたが、もともと原告宅地先の流域ならば川巾は少くとも五〇米位なければ洪水に堪えられないと思われるのに、実際は二二ないし二三米位しかないので洪水にでもなれば水があふれるのはもつともなことであるから、被告県知事としても流量計算をして右護岸工事を施工することにしたことが窺える。

以上のような事実に証人佐野久光、同西村芳太郎の各証言並びに原告本人尋問の結果及び検証の結果を綜合するとA号堰堤の設置に際して、少くとも原告附近の川巾と洪水との関係、或いは川の曲折(検証の結果によつても明らかな如く土器川は原告宅地先のすぐ下流にかかつている矢渡橋附近から大きく左へ湾曲している)と洪水との関係等について、事前に綿密周到な調査が行なわれたものとは認め難いし、又右資料によれば、原告主張の如く原告は河川法施行以前から多年に亘り継続して(戦時統制経済の折一時中絶していたが)土器川の水を使用して、附近住民多数の利用者を対象として相当な規模の水車営業を営んでおるもので、そこには右土器川の流水を右水車運転に利用することについて従来から現行水利権が成立していたものと認みられる。そして右原告の有する水利権については河川法施行後三ケ月以内に被告県知事の許可を受くべきことを命じられたこともないからその後も河川法施行規程第一一条第一項により、河川法若しくはこれに基いて発する命令により許可を受けたものとみなされるべき性質のものである。而して、原告は右水車営業から得る収益によつて自己及び家族の生活を維持しているものと認められるところ、かかる河川と重大な利害関係を有する原告宅ないし水車に接近して、河川自体の構造作用を変更するような堰堤工事を施工する際は、その工事施工者において特別且充分な配慮が当然望まれるところである。ところで証人西村芳太郎の証言並に原告本人尋問の結果によれば、A号堰堤設置前同所より二、四〇米上流に高さ一米の灌漑用水のためのせき堤があつたが、これは粗雑なものであつたので川が氾濫すれば決壊して自然土砂を流失し、水位の上昇を防げたものと認められるところ、コンクリートによるA号堰堤を設置することによつて洪水時等にそれが容易に決壊するものとは考えられず、そうすると原告宅及びその周囲の地理的条件を併せ考えて洪水の場合は言うに及ばず、多少の河川の氾濫の場合等特殊の河床上昇それに伴う水位の上昇により、その住居並びに営業が非常に危険な状態に置かれることが当然予想される。しかるに本件においてはかような情況下にある原告に対して、右A号堰堤工事に伴う一連の工事として予め原告宅に完全な防水壁を造る計画を樹てるとか、或いは原告宅地建物を買収するとか、又は原告が将来損害を受けた場合の補償について充分な話し合いをする等公の工事主体として被害者に対する万全の策が講じられたものと認め難いと言わなければならない。

そして、証人佐野久光の証言によれば、その後昭和二六年頃被告県知事においてC号堰堤を築造したが、その折は、右堰堤の被害を蒙ると認めた上流の川沿いの柿畑を買収した上該工事を施工したことが認められ、これと対比しても、本件A号堰堤設置の際の被害者に対する配慮が不充分であつたことを窺い知ることが出来る。

なお、成立に争ない乙第五号証及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、本件A号堰堤設置に際して、原告がこれを一応了承していたことは認められるが、損害を甘受する意味即ち右堰堤に因つて損害が発生した場合の被告に対する損害賠償請求権までも放棄したものと認めることは出来ない。証人中村伝市の証言中右認定に抵触する部分はたやすく採用出来ないし、他にこれを覆えすに足る証拠はない。

そこで、更にA号堰堤自体の貯砂機能に欠けるところがあるとの原告主張について考えてみるに、

本件A号堰堤は、いわゆる砂防堰堤であるから本来の機能として貯砂能力があることは当事者間に争ないところ、いずれも成立に争ない甲第三号証、第六号証、乙第二号証の一ないし三、第三、四号証の各一、二、第五号証、いずれも郵便官署作成部分の成立については当事者間に争なくその余の作成部分について原告本人尋問の結果真正に成立したものと認められるから、結局全部につき真正に成立したと認められる甲第九号証、第一〇号証の一、二、証人西村芳太郎の証言及び原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる甲第一号証、証人佐野久光の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第二号証と証人片野英二、同中村伝市、同山地真一、同遠藤隆一の各証言の一部、証人佐野久光、同西村芳太郎、同上原義久、同亀田利明、同上原幸範、同岡浅吉の各証言、原告本人尋問の結果と鑑定人遠藤隆一の鑑定の結果、検証の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すると、一般的にいわゆる砂防堰堤と称するものはその高さが三米以上に及ぶものなるところ、本件A号堰堤の高さは前述の如く三米であるが、この三米のうち一米は従来の河床以下に没しているので堰堤附近の河床は計画通り貯砂すれば終局的には二米上昇することになり、そうすると、その上流約三〇〇米迄は少しづつ河床が上昇して河川勾配が従来の五%勾配から三、四%勾配に緩やかになるが、それより上流は最終的には影響を受けないものであり、また一秒間に四百五十立方米に達する範囲内の流水量(計画高水量)の場合でも沿岸の人家等に対する被害は生じないとの計算的根拠の下に設置されたものであり、しかも右計画高水量は本件土器川上流地域の降雨量と高度の相関関係のあることを仮定しての多度津測候所の大正二年から昭和三三年に至る間における記録による二〇年確率の降雨量を基準にして算出された水量を僅かながら上廻つているのであるが、理論的に云つても、本件A号堰堤を設置したままの状態、すなわちその上流へ更にB号、C号堰堤等を設置しない以前の状態では、右計画高水量の流水の場合でさえも、A号堰堤より四三七、三米上流にある原告水車排水口附近において六、四糎ないしは約三〇糎の水位上昇を示す可能性があるし、また、現実の問題として、A号堰堤設置前は、原告方宅地下手の矢渡橋の橋桁下流(湾曲部)の左岸寄に現状のような堆砂も存しなかつたし、原告水車排水口附近にあつては、相当な水量があり、且右排水口から水面迄約一米位の落差があつたが、昭和二一年末頃に本件A号堰堤が設置され、引き続いて原告方より約一五〇米上流にA号堰堤と同規模のB号堰堤が設置されて以来、原告宅地附近は下流のA号堰堤の貯砂機能の影響を受け、次第に土砂が堆積し、漸次河床が上昇した結果水車排水口を土砂が覆い水車の排水にも支障を来すようになり、昭和二四年七月の洪水の際は、原告宅に全く予想外に多くの浸水を見るに至つたものであり、(その詳細は後記のとおり)、その後も河床の土砂累積が続いたが、昭和二五年頃、土器川河川管理維持の必要性と、原告の要望によつて、被告県知事において約二〇日間位かかつてA号堰堤の中心部を大きくV字形に切り開き同堰堤の下方に砂礫の流れを調節するために造つてあつた六〇糎角の孔一個所を、一米角のもの二個所に拡大増設し、砂礫の流出を容易ならしめたこと(但しその後灌漑用水利用者の要望があつて右V字形の切開部分は現状のように上面を略ゆるい弓状に整復したものである)そして、昭和二六年頃前記B号堰堤の上流約五〇〇米の場所に高さ八米(河床より五米)長さ四二米のC号砂防堰堤が設置され、同堰堤がその機能を発揮するに至つたことの両面の作用から次第に原告宅地附近の河床もそれ程土砂の堆積をみなくなり河床も比較的安定性を示すに至つたこと、及び昭和二四年夏洪水時における原告方宅地の状況は、主家、水車、炊事場等のあるところは宅地が一段と低くなつており、一見したところでは土器川の中へ一部突出たようになつている。その部分の川に面した三方は石垣の側壁の上へ巾七十糎、高さ一、五米の岩石混合のコンクリートで防水壁が造つてあり、石垣と防水壁との境に三ケ所孔が開いていて、通常の場合はそこから防水壁内部の水が川へ流出するようになつていること、原告方主家は木造瓦葺中二階建で土器川に面した二方は防水壁の上から柱を立ててあるが、右洪水時には此の主家についていえば、右防水壁の上面から二五糎ないし三〇糎の高さまで浸水したこと、そして、右浸水はB号堰堤の右岸側から出ている原告水車の引水溝、その他附近の高地から流入したものもあるけれども、右石垣と防水壁との間の孔から土器川の水が逆流したものもあることが認められる。

以上の事実を綜合すると本件A号堰堤の設置計画は計画高水量の点については必ずしも適正でないとはいえないけれども、この計画実施に当つては必ずしも原告等河川沿岸居住者に対する万全の策を構じたものとは言い切れないし、又A号堰堤の設置についても、特段の事情のない限り、その設置当時は勿論昭和二四年夏の洪水の折においても、原告方宅地先並に河川湾曲部の位置その地の地形との関連において、その堰堤の貯砂機能が必ずしも正常なものではなかつたものであり、従つてそのため異常堆砂を招来し、前認定の如く堰堤の砂礫調節孔を増やし且拡大せざるを得なかつたのであり、またその後のB、C号堰堤設置との関連において、即ちB号堰堤設置はA号堰堤工事完了と同時に着手しその頃完成したのであるが、C号堰堤設置が数年遅れたことも一つの原因となつて前認定のような異状堆砂を招来し、これらの事由によつて前記のような浸水を招いたものと認められるので、結局堰堤設置の綜合的な計画性ないしは四囲の情況との綜合的な観点からみて欠陥があつたものと言うべく、したがつて、A号堰堤の設置及びその後の管理維持に瑕疵があつたものと認めることが出来る。

もつとも、被告は堰堤設置工事に関連して、その主張の如く昭和二二年頃原告宅地先護岸上部に防水壁(水圧防止のため数個の孔をあけてある)を造つたこと及び昭和二五年三月頃護岸根継ぎ補修工事をしたことはいずれも当事者間に争ない事実であるが、右事実は前記A号堰堤の瑕疵を補うに足るものとは認められない。また、証人遠藤隆一の証言及び鑑定人遠藤隆一の鑑定の結果中には、本件A号堰堤はその上流のB号C号堰堤と共に、略設計どおり順調な貯砂機能を果しているものであつて、A号堰堤の作用による堆砂は計算上は同地点から一五〇米上流の地点まで及ぶに過ぎず、四三七、三米上流の地点にある原告水車の排水口附近にまではその影響を及ぼさない旨右認定に抵触するような部分があるけれども、右鑑定人が鑑定するに当つては、乙第一号証、第二号証の一、二、三、第三、四号証の各一、二の設計書、その他多度津測候所の降雨記録等を規準として、昭和三四年六月三十日から同年七月二十五日までの間において、或る程度の現地地形の観察を加える等の方法をもつてしたものであつて、右鑑定は勿論右証人遠藤隆一の証言は、いずれもA号堰堤が前述の如く補修された後になされたものであり、またC号堰堤設置後の状態においてなされたものであること、更には右鑑定等につき原告宅地附近は、極端に川巾が狭くなつており、又その直下流が大きく左へ湾曲していること等の特殊な自然的条件について充分な考慮が払われているものとも認め難いところから右鑑定及び証言が果してどの程度実態に即してなされているか疑なきを得ないので、たやすくこれを採用し難く、また証人中村伝市、同山地真一、同片野英二の各証言中前記認定に抵触する部分もたやすく信用出来ず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

そこで進んで、問題の第二点として右A号堰堤の瑕疵と現実に発生した損害との因果関係について案ずるに、後記認定の如く、その損害は昭和二四年七月の大洪水によつて蒙つた物的損害その他についてのみであつて、その余の損害(水車能率低下、或いは得意先減少による営業上の損失)については、これが認められないから因果関係について論ずる余地のないものである。そこで、右洪水による物的損害等と本件A号堰堤の瑕疵の関係について考えてみるに、昭和一三年と同二四年の夏の二回豪雨により土器川が氾濫し、その結果原告の宅地建物が浸水したことは当事者間に争なく、証人西村芳太郎、同岡浅吉の各証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すると、昭和一三年の土器川洪水の際は昭和二四年七月の場合よりも可成り雨量も多く且当時原告方には護岸設備も無かつたのにそれ程多くの被害も蒙らなかつたし、水車設備も同じであるのにその後の水車運転にも支障を来たさなかつたが、昭和二四年七月の洪水の折は、既に防水壁も完成してあつたにも拘らず、右昭和一三年の場合に比し浸水の程度が激しくそのため多くの損害を蒙つたことが認められ(右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、前述のように、A号堰堤自体の瑕疵又は、その設置に伴うその後の河川の特色に応じた管理維持に欠けるところがあつたため、右堰堤の上流に土砂の異常堆積を招来し、原告宅地先も河床が相当上昇したため、昭和二四年七月の場合予想外の浸水を招いたものである。もつとも一般的には河川上流地域における山林の濫伐、国土の荒廃等のため豪雨時にはその承水地域においては一時に増水して河川の氾濫することは想像に難くないところである本件土器川上流地域においても山林の濫伐、国土の荒廃等の点をも十分調査検討の上降雨量、流水量等を算定して計画高水量を決定した上、この種工事を施工すべきであるところ、これらの点についても十分考慮を払つて計画高水量を決定した上工事を施工したにもかかわらず、予想外の大雨により流水が計画高水量を超えたため、かような被害が生じたのであるとかその他特別の事情につき更に立証のない本件においては、これらの状況から考えて、本件A号堰堤の設置又は管理の瑕疵と昭和二四年七月の大洪水の際原告の蒙つた損害との間には相当因果関係ありと認めるを相当と考える。

次に、原告の本訴請求は、正義公平の観念に反し、且公共の福祉に反する主張であるから失当であるとの被告等の抗弁について案ずるに、なる程本件A号堰堤設置に引続き昭和二二年頃B号堰堤が設置され更に同二六、七年頃C号堰堤が設置され、各それ自体として一面において貯砂機能並に河床安定の機能を果し、また特にA号堰堤は前記のように農地灌漑用にも利用せられて、公共の福祉に貢献しているものであり、また従来、B号堰堤の位置より約一六〇米位上流に原告が私設のせき堤を造つて水車へ引水していたところ、B号堰堤設置後は水車引水のためこれを利用出来るようになり、現に同堰堤から引水路を設けて同堰堤を利用している点は原告にとつて利益な事情と認めることが出来るが、これとても原告本人尋問の結果によれば、コンクリート造りのB号堰堤があるため洪水の際は、右堰堤が決壊流失しないためにかえつて、右水車引水路に大水が押し寄せて原告宅に激流が流れ込む不利益な点も存するものであることが認められ、また右B号C号堰堤の貯砂機能により、原告が利益を受けているという点については、これは原告個人の立場からすればA号堰堤の貯砂機能-前述の如くこれに伴う原告水車排水口附近迄の異常堆砂-を幾分でも正常なものにし、異常堆砂を制限し、洪水の場合の原告の危険を相当程度緩和する作用を果しているに止まり、従つてその利益たるや、原告にとつてはA号堰堤設置前に比べて積極的な利益となつているとは考えられない。

されば、前述の如く、八号堰堤が設置されたことによつて二、三〇軒の農家がこの堰堤を灌漑用水取入れに利用し多大の恩恵に浴し、又その堰堤の機能から考えて一般地元民が河川の氾濫によつて人家及び田畑の被害を蒙る危険から免れるという利益を受けているとはいえ、同堰堤の設置によつて、洪水等の際に原告が蒙る損害乃至危険を黙過することこそ正に正義公平の観念に反するものであり、国家賠償法の精神である「損害を被害者だけに帰せしめることが公平ではなく、むしろ国家や公共団体が-したがつてその構成員が-損害を分担すべきであるという意味における」損害の平等負担の原則に照してもそのことは自明の理とも言うべきである。

而して、原告が水車引水路としてB号堰堤を利用していることを捉え、或いは河川の管理維持の公共性を理由に、原告がA号堰堤の瑕疵によつて蒙る損害を全面的に甘受すべきであるとする被告等の抗弁は理由がない。

叙上説示により被告は本件営造物の設置並びに管理の瑕疵に基き原告の蒙つた損害につきこれが賠償の責に任ずべきことが明らかである。

そこで、進んで原告主張の損害額について検討を加える。

証人佐野久光、同上原幸範、同岡浅吉の各証言及び原告本人尋問の結果と検証の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すると、原告が昭和二四年七月三一日の洪水の際に蒙つた損害(物的損害についてはその当時の時価により認定する)は、

(一)木造亜鉛板葺平家建鶏舎一棟建坪七坪(豚舎として使用していたもの)及び木造麦藁葺平家建木小屋一棟建坪五合が各流失したことによる損害

計金六万円

(二)  母屋の中古畳一一枚と上敷が浸水により使用不能に帰した、その損害は金九、〇〇〇円

(三)  搗精製粉工場内に浸水したので壁が落ちたり機械が故障し、その修理修繕代に要した損害金は九万円

(四)  客用の二の膳付、膳腕類二〇人前(五万円)その他鍋釜類を含めた炊事道具類(一万五、〇〇〇円)の流失による損害計六万五、〇〇〇円

(五)  夜具の中古蒲団類四人前(最低一万六、〇〇〇円)が浸水により、使用不能となり、これと男女作業衣、普段着類及び子供用普段着類三〇枚程度(最低二万四、〇〇〇円)の流失による損害を併せて金四万円

(六)  三〇貫目位の親豚八頭と二〇貫目位の豚四頭が流失したり死亡したことによる損害金二三万円及び鶏六〇羽位流失したり死亡したことによる損害金三万六、〇〇〇円。その合計金二六万六、〇〇〇円

(七)  製材してある松及び檜材三〇石位(一〇万円)薪用の割木二、〇〇貫目位(二万円)及びたきつけ用の束木二〇〇把位(八、〇〇〇円)の流失による損害金合計一二万八、〇〇〇円

(八)  米藁四〇〇貫位と麦藁三〇〇貫位の流失域いは使用不能による損害金一万四、〇〇〇円

(九)  乾麺空箱類八〇〇個位(二万四、〇〇〇円)の流失或いは使用不能と、裸麦八〇俵位浸水し、そのうち使用不能のもの二〇俵(四万円)その余の六〇俵位は大体二割の減耗損があり(その損失見積り額は二万四、〇〇〇円)又小麦四五〇俵位浸水し、うち使用不能のもの一五〇俵(三〇万円)その余の三〇〇俵位は大体二割の減耗損があり(その損失見積り額は一二万円)更に乾麺四〇〇貫目位(八万円)小麦粉七〇〇貫目位(最低一二万円)が浸水又は流失により使用不能となつたが右右損害計金七〇万八、〇〇〇円

(一〇)  洪水によつて水害復旧工事のため昭和二四年八月及び九月の二ケ月間水車運転が不能となり営業休止するの已むなき状態にあつたことによる得べかりし営業利益の損失は一ケ月最低五万円宛で、その損失額合計は金一〇万円

右損害合計金一四八万円

であることが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。又原告主張の右洪水時におけるその他の損害及び右水害後昭和二六年八月末頃より同二八年八月末頃迄約二ケ年間水車の稼動率が低下したことによる損害並びに昭和二六年八月末頃以来営業上の得意先が激減したことによる昭和二六年七月より昭和三五年末までの間の得べかりし収益の喪失による損害等については本件全証拠によつても、これを認めることができないから、この点の原告の請求は理由がない。

次に被告及び被告補助参加人の消滅時効の抗弁について判断する。

原告が本訴で求める債権は国家賠償法第四条、民法第七二四条により三年の消滅時効にかかることは明らかである。

先ず、原告の時効の起算点に関する主張の変更に対する被告等の異議について考えてみるに、本件記録によれば、原告に当初から被告等の主張する抗弁事実を全面的に否認し、従つて加害者を知つた時点についてもこれを否認しつつ、当初の昭和二九年一月四日頃加害者を知つたという主張を後に右時点より以前たる昭和二七年九月一二日頃加害者を知つたという主張に改めたにとどまり自白の撤回に該当しないことは明らかである。それ故、この点を知つていたことを確認するに足る証拠はないから、右のようなの被告等の異議は理由がない。そこで、右消滅時効の成否について考えてみると、成立に争ない甲第三号証及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すると、原告は昭和二四年七月三十一日の洪水の際に蒙つた損害、が被告県知事の設置したA号堰堤の瑕疵に起因するものなること及びその加害者は被告であることを確定的に知つたのは、原告が本訴証拠保全の申立をし、当庁において右証拠保全をした当時即ち、昭和二七年九月一二日頃と認められ証人山地真一、同中村伝市の各証言並に弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和二四年七月の洪水の直後本件工事を施工した造田砂防事務所長に対し、右洪水のため原告方に被害があつたから実情を調査してもらいたい旨陳情したこと及びその後も同二六年八月ごろまでの間二、三回に亘り同所長らに対し原告宅地先に砂礫が堆積したので一寸の増水にも水車の廻転に支障を来し、且又豪雨の際の家屋浸水、流失等の危険を感ずるので、調査の上対策を講じてもらいたい旨申出をしたような事情のあることは窺知できるけれども、当時原告においてその主張の損害が本件A号堰堤の設置ないしはその管理上の瑕疵に基因するものであることを知つていたことを確認するに足る証拠はないから、右のような事情があつてもそれだけでは右認定の妨とはならず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そうすると本訴状が被告に送達されたのが、昭和二九年二月四日であること記録上明白であるから三年の消滅時効は未だ完成していないものと言わなければならない。

よつて、被告等の右消滅時効の抗弁は理由がない。

而して爾余の請求(前記予備的請求)についてみても、結局損害額の点において上記認定額を超えてこれを認めるに足る証拠はない。

よつて、原告が被告に対し、金三二四万五、五〇〇円の支払の求める本訴請求は以上のほか更に爾余の請求について判断する迄もなく、金一四八万円の支払を求める限度で、理由があるからこれを認容することとし、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九四条を各適用し仮執行の宣言については、相当でないのでこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 橘盛行 藤原寛 横山義夫)

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